小中高生が世界一を目指すロボットコンテスト、WRO(World Robot Olympiad)を知っていますか。
WROとは世界90以上の国と地域から約28,000チームの80,000人が参加する小学生・中学生・高校生の国際ロボットコンテストで、日本国内では1,500チームが参加しています。
ロボットがいかに速く正確に課題をクリアするかを競う部門や、社会課題を解決するロボットを作りアイディアをプレゼンする部門など全部で4種類の競技カテゴリーがあります。
WRO Japan:https://www.wroj.org/
WRO(国際大会):https://wro-association.org/
アフレル学び研究所では過去にWRO国際大会に出場した経験をもち、今は大学生となった5名のOG・OBに、WROに挑戦しようと思ったきっかけや国際大会での体験談、これから自分がやりたいことなどを伺う座談会を実施しました。
中編:https://learninglab.afrel.co.jp/2636
後編:https://learninglab.afrel.co.jp/2640
インタビュアー:
小林靖英氏 (以下、 小林 ) 株式会社アフレル 代表取締役社長
(WRO国際委員会理事)
インタビュイー:
○レギュラーカテゴリー(現:ROBO MISSION)※1にて国際大会出場経験者
※1:車型ロボットを開発し、タイムや課題達成度などを競うカテゴリー
【画像左から】
・田仲雄一さん(以下、 田仲 ) 京都大学工学研究科修士課程1回生。愛知県出身。国際大会へは2008年 横浜大会、2013年インドネシア大会に出場。
・横畑大樹さん(以下、 横畑 ) 東京大学工学部4年生。富山県出身。国際大会へは2011年 アラブ大会、2014年 ロシア大会、2016年 インド大会に出場。
※横畑さんのインタビュー記事はこちら
WRO国際大会から東大へ WRO出身の東大生3人に聞く「これまで」と「これから」の展望
・天谷武琉さん(以下、 天谷 ) 静岡大学情報学部 4年生。福井県出身。国際大会へは2013年インドネシア大会に出場。
・塚﨑優生さん(以下、 塚﨑 ) 名古屋工業大学 工学部 4年生。福井県出身。国際大会へは2012年マレーシア大会、2013年インドネシア大会に出場。
○オープンカテゴリー(現:FUTURE INNOVATORS)※2にて国際大会出場経験者
※2:現実世界における問題の解決に貢献するロボットを開発し、プレゼンを行うカテゴリー
【画像一番右】
・岩田美灯さん(以下、 岩田 ) 慶應義塾大学法学部3年生。大阪府出身。国際大会へは2014年 ロシア大会、2015年 カタール大会、2016年 インド大会、2018年 タイ大会に出場。
WRO出場のきっかけは様々
小林 皆さん、国際大会に出場した経験をお持ちですが、そもそもロボットプログラミングやWROを始めたきっかけはなんでしょうか?
田仲 私は2008年の2月に航空関係のイベントに参加した時に、そこで活動しているNPOの方の紹介でWROというロボットコンテストの大会があることを知りました。ロボットに触ってみたいという思いもあり、当時月1000円だったロボット教室に通うことにしました。
その通い始めた年がちょうどWRO国際大会が横浜で開催される年でした。私は「横浜に行ってみたい!」と思い、大会にエントリーしてみたら、1回目の挑戦で国際大会に出場することが出来ました。1回目に国際大会に出場することが出来たので「もっと上を目指したい!」と挑戦を続けたのですが、結局次に国際大会に出場出来たのは5年後の2013年でした。
(2008年にパシフィコ横浜にてWRO国際大会が開催された)
横畑 自分は小学校2年生の時に親からLEGOの歩く恐竜セットを買ってもらったのがきっかけで、レゴブロックを始めました。その時にレゴ マインドストームNXTというレゴのロボットセットがあることを知り欲しいと思ったのですが、価格が高いため親に買ってもらえずにいました。
その後、小学校4年生の時に地元(富山県)にロボット研究会というものがあることを知り、そこでロボットを始めることになりました。田仲さんが通っていた教室と同じく、費用は月額1,000円くらいでした。ロボットを始めた当初はWROを知らなくて「公民館の教室にあるから通っている」という感覚でした。
天谷 「友達(塚﨑さん)が元々ロボットプログラミングをやっていて声をかけてもらった」というのがきっかけです。
子ども時代はゲームよりもモノで遊ぶことが多く、元々ブロックは身近にあるものでした。
塚﨑 僕は2008年に福井県で開催された国際大会のエキシビションマッチを見たのがきっかけです。
元からWROを知っていた訳ではなく、立ち寄った福井県立恐竜博物館で偶然エキシビションマッチを見ることになりました。文化も言葉も違うような選手が競い合っている様子に感化され、自分もこの大会に出たいと思うようになりました。
(2008年に福井県立恐竜博物館で行われたエキシビションマッチの様子)
岩田 私もひょんなことがきっかけです。私の兄が帝塚山中学校・高等学校でロボット部に入っていたので、WROの存在は元々知っていました。2014年にたまたまタイミングが合い、学校の先生からロボットに関する話を聞くことになりました。
そこで「このWROという大会が世界に一番近いものだよ」と伝えられました。私は当時グローバルに興味があったので「世界に行きたい!お兄ちゃんもやっているし自分も出来るかも!」と思い、やってみることになりました。
小林 皆さん、さまざまなきっかけでWROを始めたのですね。
(画像左から:田仲さん、横畑さん、天谷さん、塚﨑さん、岩田さん)
なぜWRO国際大会に出たいと思ったのか
小林 国際大会を志したのはいつ頃でしょうか?
岩田 私は2014年に初めてWROに挑戦した時にロシア国際大会に行けたこともあり、「あの景色をもう1回見たい」というのがモチベーションとなってずっと続けてきました。
(2014年 ロシア国際大会の様子、株式会社アフレル撮影)
塚﨑 自分がWROに出会ったきっかけでもあるWRO国際大会のエキシビションマッチを、小学2年生の頃に見た時に「世界規模の大会に出場したい!」と思いました。 出場する大変さを知らない状態でWRO国際大会に憧れを持ったので、WROの地区予選や,全国大会に出場するようになってから「国際大会に出場するのはこんなに大変なんだ」と感じました。 「国際大会の舞台に立ちたい!」という思いは初めてWROに出会った時からずっと変わっていないですし、今でもその時の感覚は鮮明に覚えています。自分にとっては衝撃の出来事でした。
天谷 友達の塚﨑くんが熱心に頑張っている様子を見て「自分も頑張らないと!」という思いでした。ロボットプログラミング自体に楽しさを感じていました。WROへのモチベーションを保てたのは塚﨑くんやコーチ(塚﨑くんの父)を含む周囲の環境のおかげだと思っています。
小林 塚﨑さん、天谷さんは学校の部活ではなく、家で練習していたんですよね。
学校での部活動では仲間がたくさんいたりモチベーションを上げるきっかけがあったりしますが、家で2人だけで練習していてよくモチベーションを保つことが出来ましたね。
塚﨑 当時、塾や学校に所属して出場するという発想がそもそもありませんでした。今でこそ様々な教室がWROに出場していますが当時はあまりなく…習い事や部活としてロボットという感覚がなかったです。純粋にロボットが好きだったので家で作り続けていたという感じです。
小林 横畑さん、田仲さんが、国際大会を志したのはいつ頃ですか?
横畑 塚﨑さんのように「国際大会に出場したい!」という感じではありませんでした。「ロボットを上手く製作出来て、勝ち進めたら国際大会に出場する」という認識でした。
田仲 元々「横浜に行きたい」というモチベーションで横浜でのWRO国際大会(2008)を目指していたのですが、いちど国際大会に出ると、その後のWROへの向き合い方は変わりました。
岩田さんと同じように、1回出場したからこそ「もう一度国際大会に出場したい!」と思うようになりました。
小林 昔、とある高校の先生が「国際大会に出場した生徒は変わるんですよ。違う人間になって帰ってくるんです。」と言っていました。
田仲 今、僕は国際大会に生徒を送り出す側になっているのでなんとなく分かります。国際大会に行った子は、なにか新しい目標を見つけて帰ってくることが多いと感じています。
中編:https://learninglab.afrel.co.jp/2636
後編:https://learninglab.afrel.co.jp/2640
団体プロフィール
世界90以上の国と地域、約28,000チームの80,000人が参加する小中高校生の国際ロボットコンテストで、日本国内では1,500チームが参加している。
レゴ® マインドストーム®などを用いてロボットを作成し、いかに速く正確に課題をクリアするかを競う。
WRO Japan:https://www.wroj.org/
WRO(国際大会):https://wro-association.org/
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