少子高齢化による労働力不足を背景に、日本の製造現場では産業用ロボットの導入が急速に進んでいます。国際ロボット連盟(IFR)が発表した「世界の産業用ロボット稼動台数推定」※1によると、国内における産業用ロボットの稼働台数は2024年時点で約45万台に達しており、今後もさらなる増加が見込まれています。こうした動きを受けて、現代の技術者には、単一の専門性だけでなく、機械・電気電子・情報技術を横断的に理解し、柔軟に対応できる複合的なスキルが不可欠となっています。
このような産業構造の変化は、九州の中央に位置する熊本県でも顕著に表れていました。もともと熊本県には、国内半導体メーカーの工場や自動化設備や精密加工を手がける機械メーカー、ロボット関連企業が所在し、豊かなものづくりの土壌が築かれていました。昨今では、世界最大の半導体メーカーの進出など、さらに半導体産業の発展も進んでいます。こうした背景から、地元産業界からは「現場のものづくりとデジタル知能の双方を深く理解した、最先端の工場を支える実践的な技術者を地域で育ててほしい」という強い期待が寄せられていました。
その要請に応えるべく、熊本高等専門学校(以下、熊本高専)では2026年に学科改組を行いました。同校では、ロボットやシミュレーション、3Dスキャナなどを、機械・電気電子・情報技術を複合的に学ぶツールとして活用しながら、ものづくりの現場で近年進むデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)に対応できるDXエンジニアの育成を目指して、すべての学生が実機に触れられるマスタープランを策定し、採択されました。そこで今回は、この取り組み全体を主導した山下徹先生と、実際に授業の教鞭を執る湯治準一郎先生(以下、山下先生・湯治先生)に、熊本高専が目指す新しい実践的工学教育のあり方についてお話を伺いました。
50年の歴史が育んだ「複合学科」のDNAと
総合エンジニアの素養
熊本高専の改組と挑戦の背景には、同校の前身である八代工業高等専門学校と熊本電波高等専門学校(以下、八代高専・熊本電波高専)から受け継がれてきた教育の歴史があります。両校は2009年に統合され、現在の熊本高専へと生まれ変わりました。この統合により、旧・八代高専が長年にわたり培ってきた「機械・電気、土木・建築、生物系」の複合的技術と、旧・熊本電波高専が先駆的に培ってきた「電子・情報通信系」のデジタル技術が融合する強力な基盤が確立されました。
とりわけ、旧・八代高専の時代から50年以上にわたって受け継がれてきた「複合学科」の考え方が、今回の教育改革の土台となっています。機械・電気電子・情報技術などの専門分野を単一のみ学ぶのではなく、複数の専門分野を横断する教育は、熊本高専が長年大切にしてきた特色の一つです。
山下先生は、この複合学科の強みについて、「一つの専門性に閉じることなく、複数の分野を横断して課題解決に取り組むことができる総合エンジニア(何でも屋)としての資質の育成」にあると捉えているそうです。特定の分野に閉じこもらないことへの意義について伺ったところ、「現代のものづくりは年々複雜化・多様化し、単一の専門知識だけで作り上げることはほとんどありません。熊本高専の複合学科で育った学生は、一つの専門性に特化するのではなく、直面した課題に応じて自分の中にある機械、電気電子、情報といった複数の引き出しを関連付けて必要に応じて開けられるようになります。この横断的な素養こそが、これからのものづくりにおいて強力な武器になると考えています。」と、語ってくれました。
浅く広く知識を知るのではなく、それぞれの学問がどのように繋がり、システムとしてどう機能するのか、構造的に理解する。50年以上培ってきた複合学科の土壌があるからこそ、熊本高専は2026年の学科改組においても、より高度な情報の要素を既存のカリキュラムへとスムーズに融合させ、次世代の「ものづくりDXエンジニア」の育成に舵を切ることができました。
デジタルネイティブへの危機感と
「三現主義」への立ち戻り
今回のマスタープラン申請と教育環境の刷新の背景には、現代の学生の気質に対する教員たちの深い洞察と、より高いレベルの教育を追求したいという強い想いがありました。
現在高専に入学してくる学生は、生まれたときからインターネットやスマートフォンが当たり前に存在するデジタルネイティブ世代です。こうした時代背景の中、現代のものづくり教育にはどのような変化が求められているのか伺ったところ、「学生たちは画面の中でコードを書き換え、デジタル上のモデルを動かすことには非常に高い適性を見せてくれます。しかし、私たちの生活や実際の産業を支える基盤は、決してインターネットの中だけで完結するものではありません。そのデジタル空間の先には、機械や工場設備といった『現物』が必ず存在します。だからこそ、デジタル空間で高度なシステムやアルゴリズムを構築するだけでなく、それを現実のものづくりへと変換し、社会に実装できる人材が必要です。だからこそ私たちは、デジタルとリアルを力強く橋渡しできるエンジニアの育成を目指して取り組んでいます。」と、山下先生は語ってくれました。
ここで重要になるのが、製造業の伝統的な行動哲学である「三現主義(現場・現物・現実)」という原点に立ち戻ることです。画面の中のシミュレーションだけで満足するのではなく、実際の現場で、現物に触れ、現実の課題を肌で感じる。このプロセスを経ることで、初めて学生は工学の本質的な価値を実感できるようになります。
こうした三現主義を教育の中で実践する重要性が高まる一方で、近年の教育現場では、学生が所持するパソコンやタブレットを持ち込んで学ぶBYODが一般的となり、デジタル空間の中で学習が完結しやすい環境も増えています。このような背景から、画面上の設計やプログラミングと現物を結び付ける学習環境の重要性が、これまで以上に高まっていることが伺えました。
教育環境の発展:
より多くの学生に「実機に触れる機会」を
こうした三現主義に基づく教育を実践するためには、すべての学生が実機へ触れ、自ら試行錯誤できる環境が欠かせません。そこで、この理想を形にするため、これまでの機材配置のスタイルを一から見直す取り組みをスタートさせました。
従来の環境では、学校に高性能な産業用ロボットはあるものの台数が限られていたため、実際に機材に深く触れて実践的な学びを得られるのは、卒業研究や一部の部活動に所属する学生など、一部に限られがちでした。さらに、多くの学生はシミュレーション画面上での学習や、代表の学生による操作を見学する形が中心となり、卒業時のアンケートでも「もっとロボットを触りたかった、関連する授業を増やしてほしかった」という声が寄せられていたそうです。
山下先生は、すべての学生に等しく質の高い経験を提供したいという当時の想いについて「学校として高度なものづくりやDXの教育を掲げる以上、一部の学生だけの経験に留めるのではなく、全員が平等に本物の機材を自ら操作し、実践的に試行錯誤できる機会を提供することが教育機関としての本来のあり方だと思いました。すべての学生が主役になれる環境を作ることこそがこれからの高専教育に求められていると感じます。」と、振り返ります。
こうした背景から、各専門分野の教員が議論を重ねて科目内容を整理し、すべての学生が実機に触れられる新しい授業時間を捻出することに成功しました。
日本の製造業・学生の将来を見据え、
熊本高専が選んだ「ロボット」
機械・電気電子・情報技術を複合的に学べるようカリキュラムを再構築していくなかで、代表的なキーワードとして導き出されたものの1つが「ロボット」でした。
ロボットを学科の特色の1つとして明確に打ち出し、学生全員が実機を扱える環境を作るため、熊本高専では「教育・研究用6軸ロボットアーム」の導入を決定しました。この機材を選択した理由について、山下先生は次のように語ります。
「選定の理由は大きく2つあります。まず1つ目は、日本の製造業において生産活動の主体を担うのは産業機械や産業用ロボットであり、今後もさらに稼働台数が増えていくためです。学生たちの将来のキャリアを考えたとき、実際の就職先の製造現場で活用されている技術を実践的に学べるものを選ぶべきだと思いました。
そして2つ目は、ロボットアームには機械・電気電子・情報技術の要素がすべて含まれているからです。アームの構造や力学を理解し、モータを制御し、さらにカメラやセンサからの情報を基に動作させるまで、一連のプロセスの中で複数分野の知識がすべて求められます。個別の学問としてバラバラに学ぶのではなく、それぞれの技術がどのようにつながり、一つのシステムとして動いているのかを学ぶ題材として、これ以上最適なものはないと考えました。」
政府のマスタープランに採択されたことで、熊本高専の実習室は大きな変貌を遂げ、現在では実習室の机の上に最新鋭のロボットアームが整然と並ぶ、圧巻の1人1台のロボット環境が実現しています。

すべての学生が現物(ロボット)に触れられるよう、整備された実習室の様子
今後の展望:
地域課題の解決と「学び続ける」未来のエンジニアへ
1人1台のロボット教育という環境で、リアルの手触りとデジタル知能を同時に身に付けた熊本高専の学生たちは、今後、大きく変化する地域社会の課題を解決する主役として羽ばたいていくことが期待されています。
現場の自動化や省人化、データ駆動型のスマートファクトリー化は、地場の中小企業にとっても生き残りをかけた急務です。機械が分かり、電気が分かり、その上でデジタル空間のシステムを物理世界に実装できる熊本高専の卒業生たちは、まさにこれらの企業が必要としている「即戦力のDXエンジニア」そのものです。
しかし、山下先生は「学校が提供できる教育や機材を用いた実習は、彼らの長いエンジニア人生における未来を生き抜くための土台づくりに過ぎません。」と、冷静に先を見据えています。
「現代のテクノロジーの進化スピードは凄まじくて、今学校で教えている最新のロボットやプログラミング言語も、彼らが社会の第一線で活躍している頃には、完全に過去の遺物になっている可能性が非常に高いですよね。だからこそ、私たちが本当に教えなければならないのは、特定のロボットの操作方法などではありません。複数の分野を横断して物事をつなげて捉える思考法であり、何よりも『未知の技術に出会ったときに、自ら進んでワクワクしながら学び続ける姿勢』そのものだと思っています。」と、山下先生は話します。
「教員である自分自身も、まずはワクワクできることに全力で取り組みたい」という山下先生らの純粋な熱意から始まったこの教育改革は、1人1台のロボットアームという形をとって学生たちへと確実に伝播し、彼らの心に火をつけています。
デジタル関連のロジックを深く理解しつつ、リアルのものづくりを決して忘れない。そんな新世代のエンジニアたちが、熊本の地から次々と社会へ送り出され、日本のものづくりの未来をどのように塗り替えていくのか、今後の展開に注目が集まります。
【参考】
熊本高等専門学校
※1 日本ロボット工業会 世界の産業用ロボット稼働台数推定