世界最大級の学生向けロボット大会「WRO(World Robot Olympiad)」は、毎年、小学生から高校生までが課題に挑戦し、国際大会を目指しています。日本での参加者も年々増えており、2018年は41の公認地区で予選会が開催され、およそ1,800ものチームが参加しました。その中から選ばれる日本代表チームは、まず地区の予選会を勝ち抜き、さらに国内の決勝大会で入賞するという狭き門になっています。
今回は、高校時代に日本代表チームとして国際大会を経験してきた選手たちの、その後を追ってみました。お話を聞いたのは、現在東京大学に通う3人の大学生。2016年の「WRO 2016 インド国際大会」(レギュラーカテゴリー/高校生)に出場した、日本代表チームの「サンダーバード59号」の横畑大樹(よこはた ひろき)さん、同じく日本代表チーム「T-trinity」の石橋亨祐(いしばし きょうすけ)さんと赤川憲司(あかがわ けんじ)さんです。
左より、株式会社アフレル代表取締役社長の小林 靖英氏、東京大学2年生の横畑大樹さん、同じく石橋亨祐さん、赤川憲司さん。
中学時代のWROで大きな失敗を経験
横畑さんは、小学校時代にも日本代表として「WRO 2011 アブダビ国際大会」(アラブ首長国連邦)に出場した経験があります。SF好きの父の影響で、小さい頃からレゴブロックだけでなく、モーターを使った電子工作などを楽しんでいた横畑さんは、小学生から地元・富山県にあるロボット研究会に参加。教育版レゴ マインドストームの講習会を受けて、小学5年生のときに初めてWROに挑戦しました。そのときは「課題となっていたコースの段差すら乗り越えられず、何もできないままに終わってしまった」そうですが、1年後にはなんと日本代表になるほどの進歩を見せました。
小学校時代から電子工作キットで遊び、ロボット研究会でWROに挑戦していた横畑さん。
その後、横畑さんは富山県を代表するスーパーサイエンスハイスクール、富山県立富山中部高等学校へ入学。WROだけでなく、「日本地学オリンピック」本選で銅賞を受賞(高校2年生)、「第13回物理コンテスト 物理チャレンジ2017」に参加(高校3年生)するなどの活躍ぶりを見せています。
しかし、横畑さんのWROでの経験は、成功ばかりではありませんでした。
「中学3年で参加したWROでは、すごく準備して挑んだにも関わらず、消耗品のモーターの点検を怠って、本番でうまく回らず失敗したことがあります。その時は『僕のWRO人生は終わった』と、なぜだか納得した気持ちになりWRO引退を考えました」。高校ではSS情報部に所属していましたが、一度は終わったと思っていたWROへ再び参加。受験前の高校2年生で日本代表に選ばれ、「WRO 2016 インド国際大会」で決勝6チームに入るという快挙を成し遂げました。
横畑さんは、WROのロボットを作る際、まず考えに考え抜いてから、ようやくロボットを作りはじめます。「経験が浅い時は、ロボットをまず作って、実際にコースを走らせて作り変えていきました。高校生になると、いかに移動距離を短くコースを走らせるかというプログラムと、それにはどんなハードにすればよいのかという戦略を同時に考えてから作るようになりました」
また、国際大会では、勝ち抜くためのロボット作りとして、課題に特化しすぎず、サプライズルールにも対応できるような汎用性も心がけたそうです。そうした戦略が功を奏し、見事国際大会の結果につながったのです。
「日本代表に選ばれた瞬間は、5年間の努力が実った瞬間」
「T-trinity」の石橋さんは、「小学校の頃は、WROのことはまったく知りませんでした。父に連れられて、大阪の電気街である日本橋に行き、エレキットを購入して遊んでいたぐらいですね」と、小学生時代の思い出を語ってくれました。
一方、ロボットにはまったく興味がなかったという赤川さんは、「工作は大好きで、工作用紙で立方体のマトリョーシカを作ったり竹を切って細工したりといった、手を動かすことが大好き」なアナログ派だったそうです。
そんな石橋さんと赤川さんが出会ったのは、奈良県にある中高一貫校、帝塚山中学校です。当時から帝塚山中学校・高等学校はWROの強豪校として全国でも有名で、WROチームが所属する「理科部」は40人ほどが参加する人気のクラブでした。
二人が初めてWROを身近に知ったのは、中学1年生で先輩の応援のため、WRO地区予選会の見学に行った時です。その後、自分たちのチーム「T-trinity」を結成し、中学2年生からWROへの挑戦が始まりました。
「中学2年3年と参加しましたが、中学時代は結局、奈良大会までで終わりました。高校1年生でようやく全国大会まで行けるようになり、高校2年生でついに日本代表になることができました」と、赤川さんは当時の苦労を振り返ります。
2016年9月に東京で開催された、日本代表チームを決める決勝大会「WRO ?Japan2016決勝大会」。
「初めてWROを見学した中学1年生からずっと国際大会を夢見ていたので、最後の大会として挑んだ2016年に全国優勝できたときは、5年間ひたすらやってきたことが報われた、やっと自分たちのロボットが勝利したと感じ、とてもうれしかったです」と石橋さんが話すように、国際大会への道のりは決して平たんなものではなく、5年間を費やした、努力と執念の末の勝利だったのです。
「WRO 2016 インド 国際大会」での様子。真剣な表情で、コースを走るロボットを見守っている。
二人が所属するチーム「T-trinity」の強さのひとつは、それぞれの強みを生かして役割分担していたことです。ソフトは石橋さん、もう一人のチームメイトがハードを担当、そして赤川さんが両面から見据えるという分業体制で挑みました。「ぶつかることもしばしばでしたが、それぞれがベストと思うものを作り、評価し合う方法をとっていました」と赤川さん。
そして、チームの原動力は「悔しさ」だったそうです。「中学1年で見学していた時は、ロボットのことも知らなかったので『これなら自分でもできそうだな』と思ったのですが、実際にやってみると難しい。初めての大会ではコースの最初の溝すら渡れずに、0点になってしまい、とても悔しい思いをしました。その悔しさがWRO挑戦の原点となり、そこから始まったと思います」と、赤川さんは話しています。
国際大会は言葉よりも気持ちで分かり合う
国際大会は世界74カ国から参加があり、様々な言語の学生が集まります。その際の交流は、なんとジェスチャーが活躍したそうです。
「選手同士も仲良くなり、当時流行っていた『PPAP』を踊ってくれる選手もいました」と、赤川さん。横畑さんは、試合後のパーティで友達ができ、キプロス共和国の友人とは現在もメールをやりとりしています。
また、国際大会は日本大会と異なり、ロボットの形も多種多様。考えもつかなかった形で、しかも効率のよいロボットが登場して驚いたこともあったそうです。「本番前日にYoutubeにアップされたロシアチームのすごい動画を見て、『やばいな』と思いましたね」とも石橋さんは当時の思い出を話してくれました。
3人が参加したインド国際大会。小学生から高校生まで、日本全国から集った計13の代表チームが参加した。
東大の推薦入試でWROエピソードをアピール
3人は大学受験のため、国際大会に出場した高校2年生の秋を最後に、WROを引退しました。しかし、「高校3年生の時もルールは一応確認しました。物理コンテストなどもあったので結局出ませんでしたが、出るかどうかはとても悩みましたね」と、横畑さんは残念そうに語っていました。
WROでは、戦略において数学の知識を活用する場面もありますが、実際に勉強面とWROで何かしらの関連性はあったのかを聞いてみました。
石橋さんと赤川さんの所属する「T-trinity」では「プログラミングで数式処理はしていました。分岐を使うとプログラムが重くなってしまったので、因数分解のように変数を使い、分岐を減らしてプログラムを軽くする。高校に入ったら、微分積分を使ったPID制御を使いました」といった工夫を行っていたそうです。
WROの影響を感じたのは、勉強面だけではなく、もっと深い自分の生き方だったと赤川さんは話します。東大に推薦で入学した赤川さんは、推薦入試の際に中学・高校の5年間を捧げてきたWROでの活動をアピールしました。「中学のWROで敗退した悔しさを元に頑張り、国際大会へ行く目標につながったというエピソードをそのまま書きました。結果、こうして東大に入学できたこともそうですし、自分の人生においてWROは大事な要素だったと思います。たとえば、学校の数学はそのままロボットの数式処理に活用でき、まさに勉強と実用面をつなぐ役割をしてくれました。そして、WROという目標があるから勉強も頑張ることができた。自分にとって、とてもよい環境だったと実感しています」
「評価を求めてやったわけではなく、楽しくてやってきたことが、結果として評価につながった」と、赤川さん。
また、石橋さんも「WROに向けて中学・高校とがむしゃらにやってきましたが、終わってみると、WROでやってきた『最初に目標を立てて、それをもとにやるべきことを進めていく』という工程が身についていて、それが受験勉強や現在に大いに活かされていることに感じました」と話しています。
「優勝して国際大会に行けたことは、あの時頑張ってたから、結果につながったという自信になり、その先も頑張ることができました」と話す石橋さん。
WROの経験をベースに新たな一歩を踏み出す
現在、東京大学に通う3人の進路は様々です。
まず、赤川さんはやってみたかったという弓道部へ入部し、WROで培った粘り強さをここでも発揮し練習にいそしんでいます。現在は自動運転技術に興味を持っており、「ロボットや旅、カメラなど、自分の興味を掛け算して、世の中を便利にするモノづくりをしていきたいと思います。まだ経験が足りないので、これからもっと自分に力をつけていきたい」と語ってくれました。
石橋さんは、数々のロボット大会で優秀な成績を収めている東大のサークル「東大RoboTech」に入部。ソフトウェア担当として、朝から終電まで大会に向けた調整を行うこともあるほどの熱中ぶりです。「これから社会は大きく変わっていくので、未来がどうなるかは想像しきれないですが、何歳になっても自信と誇りをもって生きていたいと思います。現在はロボットや人工知能など、興味をもったことをさらに深く学んでいきたいです」と、将来について話しています。
小学生時代からWROに出場してきた横畑さんは、現在、小学生にロボット学習を指導するアルバイトをしています。「WROとは、中3と高2で2回離れたつもりでしたが、結局関わっています。将来は研究者になりたいという希望もありますが、それとは別に、きっとこれからもずっと何らかの形でWROに関わり続けていくと思います」と話す横畑さんに、改めてWROへの強い思いを感じました。
「明るい未来社会をつくる」ために頑張ってほしいと、3人にエールを送る小林氏。
全力でやらないと見えてこないものもある
最後に、国際大会出場者の3人から、WROに挑戦する選手たちへ、アドバイスをいただきました。
横畑さん
「WROに初めて参加した人はわからないことも多いと思うので、結果は気にしないことです。まずは、優勝した他のロボットなどを見て、研究してみることをおすすめします。『すごい』、『あんなロボットを作りたい』という思いが、自分の目標になります。経験をたくさん積んで、たとえ失敗したとしてもそこでめげずにチャレンジし続けてほしいと思います」
石橋さん
「自分の目標をしっかり持ち、全力で挑むこと。全力でやらないと伝わらないし、全力の先に初めて見えてくるものもあります。WROでは主にソフト面を担当していましたが、WROは一発勝負ですので、本番で失敗しないように再現性の高いプログラムを目指してください」
赤川さん
「WROは『モノを作る』という挑戦が評価される大会です。もし実際に材料を作って作品を作るとしたら、作り直しは難しくとてもコストがかかります。しかし、レゴであれば、作っては壊すという挑戦が何度も繰り返しすることができます。ぜひ、自分が納得いくまで作り込み、チャレンジしていってほしいと思います」
満開の桜が咲く東大の本郷キャンパスで、3人ははにかみつつも、WROを目指す後輩へのメッセージを送ってくれました。
WROで得た経験を自信に変え、大学合格に繋げた赤川さん、大学でさらなるロボット大会への挑戦を続ける石橋さん、二度引退を考えながら現在は後進の育成をサポートしている横畑さん。三者三様の形で、WROの経験を生かしています。
これからWROに挑戦する子どもたち、現在挑戦している児童・生徒・学生にとって、結果のいかんに関係なく、WROで得た知識、仲間、経験、悔しさや喜びはすべて彼らの中に記憶され、これからの人生を生きる糧となっていくでしょう。WROで全力を尽くしてきた3人のインタビューを通じて、改めてそう感じました。